ゆったりアウトドア/執筆:岡安賢一(映像制作)


「自分の靴紐を自分で持ち上げて、月へ行く話」

まるで、自分の靴紐を自分で持って自分を持ち上げるようなものなんです。自分にとっての外に出るってことは。

僕がまだ映画学校の学生だった頃。課題で「自分が関心のある人に会いに行きインタビューする」というものがあった。2000年。斎藤環著「社会的ひきこもり」が世に出て「ひきこもり」という言葉が一般的になり、それが特別なケースではなくて実は近所に・・とか実は知人が・・と話に出るようになった頃だった。

僕は、ひきこもりという言葉がタイムリーだから自分の課題に選んだのではなかった。映画学校へ行く前に工業学校へ通っていたものの授業についていけず友人も少なく、寮に閉じこもっている時期が長かった。だから当時20歳、漠然と映画をやりたいと言っても自信もない僕は、自分の事と重ねながら、つい先月までひきこもりだったという同い年のTくんと会った。

Tくんは確か、高校中退後自分の部屋にひきこもっていたが、数ヶ月前に父親が亡くなり「このままだと自分はヤバい」という意識から外に出る訓練をしていた。ネットを通じて彼と会う約束をし、指定されたのはプールもあるサウナ施設。仕事にはまだ出られないTくんは、「プールやサウナに入ると生きている実感がする」と好んでこの場所に来るという話だった。その彼のインタビューの際に、冒頭の靴紐の下りを彼が語った。

自分の靴紐を自分で持って自分を持ち上げる。まるで「両手の鳴る音は知る。片手の鳴る音はいかに」という禅の公案のような途方もない話だ。でもそれは大げさな例えではなくて、彼の切実な思いだった。以来、僕はひきこもりの話を聞く度にTくんのその言葉を思い出していた。

それから17年が過ぎた。

映像の仕事で関わらせていただいている前橋の美術館・アーツ前橋による「中之条ビエンナーレツアー」に参加させてもらった。中之条ビエンナーレは僕の地元中之条町で2年に一度開催されるアートイベント。今回はただのツアーではなく、アーツ前橋が「表現の森」というアーティストと前橋市内の団体・施設と協働で行う展示会の延長上にあるツアーだった。僕はいわゆる現地ボランティア要員である。

ひきこもりの若者たちの居場所として3年前にオープンした「アリスの広場」。そこに通う若者たち数人と、アリスの広場代表の佐藤真人さん、「表現の森」でアリスの広場と関わり作品を使ったアーティスト・滝沢達史さん、アーツ前橋学芸員やアリスの広場をサポートする方などと行く1泊2日のアートツアーだった。

町の観光協会に相談し、宿は団体貸し切りができる沢渡温泉の「古民家の宿 金木」に決めた。他の客がいない宿。はじめて温泉に入る、という若者もいたし、貸し切りバーベキューは大盛況だった。アート巡り以外にも、滝沢さん提案で釣り、バーベキューなどの体験が盛り込まれていた。彼らが楽しそうだった理由の一つは、彼らを否定したり過剰に心配する大人がいないことや、僕を含めて子どものようにはしゃぐ大人ばかりだったことかもしれない。

ツアーでは、幾つかの小さな奇跡が起きたと思う。泊まりは怖かったけどビエンナーレが見たくで勇気を出して参加した子。はじめてちゃんと話すのに、昔からの友達のようにぴったり離れなかった子たち。自ら抱えていた心的な問題を自分で解決した子もいた。もちろん、全員が全員良かったわけではなく、僕が気付かなかっただけで何かに傷ついた子もいたかもしれない。でも彼らにとっては全てが新鮮な体験だったと思う。

アート作品は、1日ずっと見ていると大人でも疲れる。メイン会場であるイサマムラの前の珈琲ワゴンの側で、幾人かで休んでいた。若者の一人は、滝沢さんの年齢の1/3の年齢だという話になった。

「3倍生きてみると、良いことありますか?」と彼女。

「良いことは3倍あったよ。ツラいことも3倍あったけど」と滝沢さん。続けて、

「でも大人になれば、自分で選べるようになるからいいよ」

というような事を話していた。側で聞いていて、あ、それ大事だなと思った。10代のつらさは、学校や友人をある程度選べないこと、親との関係が正面からしかないことにあると思う。幾らか年をとれば、職場も友人も親との距離も、自分で選べるようになる。アーティストという自らで自らの道を選ばないといけない人と、生き方に窮屈さを感じている若者との相性は、案外良いのかもしれないと思った。

ツアーの最後は、ビエンナーレで伊参スタジオの野外に作品を展示している山口信哉さんによる「ハンドパンライブ for アリスの広場」。山口さんはイスラエルを活動の拠点とし、アーティストでありながらハンドパンと呼ばれる金属製楽器の職人でもある。大きな鉄のどら焼きのごとくのハンドパンは、山口さんの手で叩かれると倍音(ばいおん)と呼ばれる特殊な振動音を奏でる。その音色が、泣きたくなるくらいに素晴らしい。

今回アリスの広場によるツアーの話を聞き、山口さんにこういうわけでと話をしたら、演奏を快諾してくださった。演奏の合間には、彼が暮らすイスラエルの話もしてくれた。「イスラエルと聞くと物騒な国だと皆言うけれど、海辺でキャンプもできるし、おいしいものの売買には人種も宗教も関係ないよ」と山口さん。前回のビエンナーレの作品は、兵役を終えた息子さんをイスラエルから日本に呼んで作った作品。家族には色々な形がある。山口さんの作品やハンドパンの音色には、「平和」への思いが込められていた。その音色は、若者たちにどう響いたのだろうか。

「僕がなぜイスラエルに行ったのかよく聞かれるんだけど。愛した人がイスラエル人だったから。それだけ。彼女がもし月にいたら、僕は月に行っただろう」

「音楽をやっていると、普段は重いだけの身体が軽くなる瞬間がある。重さを感じないんだ。今年のビエンナーレの作品はそれを意識して、中身が空洞で羽根が生えて飛んでいけるような人物像を造った」

と山口さん。この「没頭すると身体が軽くなる」という現象は、音楽だけではなくアート制作においても同様のことが起きると滝沢さんが言っていた。それは、心身の重さ、を支えることで日々精一杯のアリスの広場の若者たちに向けた言葉であったと思う。自分が熱中することを見つけられれば、様々な重力は・・無効になる?

ツアーが終わった翌日。僕自身「ああ、ひたすら楽しいツアーだったな」とツアーロスな気分を味わっていて、若者たちはなおさら寂しいんじゃないかな、などと思っている時にふと、冒頭の17年前のTくんの言葉を思い出した。そして思った。

自分の靴紐を自分で持って自分を持ち上げることはできない。

Tくんだけではなく、僕もその事に対して絶望に近いものを感じていた。だからこそ、Tくん以外で彼の靴紐を持って持ち上げてくれる人が必要だと思っていた。けれど、方法はそれだけじゃないのかもしれない。自分が熱中することを見つけられれば、たった一人でも、自分の靴紐を自分で持ち上げて月へも行けるのかもしれない。

具体的じゃないし、彼らに響くアドバイスではないと思うけど。でもそれをするためには、そんな変わった生き方を本気でしている大人との接点が必要だ。

「表現の森」には終わりが見えない。アリスの広場とアーツ前橋、アーティストとの関係にもしかり。けれど、その協働の先には、ささやかな奇跡が起こることを期待したい。

(執筆・岡安賢一/映像制作 投稿・滝沢達史)

Page Top
×