WS(9) ここは海です。


日時=2018年2月4日[日]、11日[日] 13:30~16:00
会場=南橘公民館~南橘団地
対象=桃川小学校校区にお住いの方
持ち物=なし
参加費=無料
企画=中島佑太
主催=アーツ前橋
サポートスタッフ=今井(アーツ前橋)、黒野愛莉(群馬大学)、成清茜加里(同)、大井葉月(同)、狩野未来(同)
参加者数=46名(2/4)、39名(2/11)(スタッフ等関係者含む)

図工以外のたくさんの表現

南橘団地の子どもたちも通う桃川小学校に10月から通い始めて、南橘団地の子どもたちと学校の中でも交流を持つことができた。団地で出会った子どもたちと、子どもたちのホームでもある学校の中でも出会えるという環境は、なかなか特別感があることに思える。10月から3月という長めの時間ゆったりと関わることで、特別感はうすれ、普通になり、彼らの生活の日常さを共有することができたのではないか。

とはいえ学校での関わりは、あくまでT2と呼ばれる補助教員的な関わりになっている。教員の補助だけに徹しているわけではないけど、アーティスト・イン・スクール(AIS)としてふさわしいあり方なのか問う必要があると感じていた。普段からワークショップの冒頭では必ず、「アーティストなので、先生と呼ばないで欲しい。」と伝えているにも関わらず、すでにワークショップで関わっていた子どもたちのいる図工の授業で、絵画や工作の指導を補助する役割を受け入れることは、発言上の矛盾があり、個人的にも違和感を感じることだった。

今回、2月と3月に南橘公民館で桃川小学校区の人を対象にしたワークショップを行うことになった。今までは基本的に南橘団地にポスティングをし、南橘町にお住まいの方を対象にしてきた。今回は、南橘町を含む、1つの小学校区にお住まいの方と対象が広がった。その背景には、AISを通じた小学校の協力がある。桃川小学校に通う全児童にチラシを配布していただくことができ、図工の授業の冒頭では、樺澤先生がワークショップの紹介を挟んでくださったりもした。結果的に、今まで南橘町内だけで行なっていたワークショップよりも多くの参加があった。

今回のワークショップでは、テーマを「海」にした。その理由は大きく2つある。1つは南橘町でのワークショップは以前より旅をテーマにしてきたこと。それはワークショップ会場から団地内に向けて、材料探しに出ることが通例化していることなどから来ている。今回もそれは行われた(しかもワークショップ開始時間を待たずに、材料探しチームが結成され、旅立っていた)。

もう1つの理由に、2016年の夏祭りで出会った当時4年生の男子との出来事がある。海の家をテーマにしていたワークショップに来た彼は、「まだ海に行ったことがない」と言う。その5年生になった彼とAISで再会したのだが、ある木工の課題で彼が選んだモチーフが「海」だった。

海のない群馬県民は当然、生活レベルでは海との親しみは薄い。夏休みの家族旅行で、泊まりがけで行くような場所なのだ。しかし、わざわざ海まで家族で出かけなくても、に行くことができる。それが想像することの最大の楽しさなのではないだろうか。一方で、実際のところ彼がどれだけ海に憧れているかは、分からない。なんせインターネットを使えばキレイな海のイメージはいくらでも見ることができる時代だ。図工のモチーフに選ぶ理由としては十分だろう。

そんなわけでテーマを決めた。タイトルは「ここは、海です。」とした。「部屋に海をつくろう!」だとか、「海の生き物をつくろうね。」的なことは相変わらず言わない。「ここは、海です。」と、海のない群馬県前橋市にある南橘公民館の部屋の中で言ってみただけだ。そこから先の表現はそれぞれの個人的なものであり、半ば強制的なグループワークをする必然性はないように思えた。

24日と11日の2日間にわたり、来てくれたのはあまり意外な顔ぶれではなかった。南橘町内でのワークショップに必ず来てくれる人たちと、図工の時間で顔と名前を覚えられる子どもたちが中心だった。学校では、図工の課題以外の多様な表現に付き合ってあげることはできないが、ここではできる。樺澤先生も「図工以外にもたくさんの表現がある。」と言ってくださったように、ワークショップにはワークショップなりの表現がある。

今回は、群馬大学教育学部の学生たちが数人アルバイトとしてサポートしに来てくれた。初めての試みとして、大学生にワークショップの感想などをレポートしてもらった。それぞれのプロセスを語ることは、大学生のレポートを参照してほしい。これから教員になり、子どもたちと関わるだろう学生たちが、図工以外にも表現があることを知る意義は大きいと考えている。ワークショップや子どもとの関わりに慣れていない学生もいて、それぞれ戸惑いもあったかもしれないが、よく分からなくて戸惑うことというのは、学校の外にはたくさんあるんだということも知ってもらえたらと思っている。

アーティスト 中島佑太

学生レポート

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『ここは、海です。』と聞いたとき、私はここがどのように海になるのか、どんな海になるのか、想像してもよくわからなかった。子どもたちがどのくらい来るのか、どのような子どもたちが来るのか、これは全然わからなかった。だから、楽しみと緊張の気持ちで現地へ向かっていたが、不安の気持ちも増えた。

開始時刻になる前から、何人かの子どもたちがちょこちょこと現れて、「今日何やるの?」「ここは海なの?」と興味を持っている様子が伝わってきた。

机や椅子を並べたので、その上で活動している子がほとんどであったが、中には空いている場所を見つけ、床に置いてつくったり、外に素材を運んでつくったりしている子もみられた。机や椅子を置かない方が好きな場所や自由なサイズ、人間関係を選択できるのではないかと考えた。

私は途中からある一組の姉妹に注目した。なぜなら、二人は好きな教科を教えてくれて、お姉ちゃんは「図工が好き!」と言ったが、妹ちゃんは「図工が嫌い!」と言ったからだ。妹ちゃんは「私は絵が下手だし、つくるのもお姉ちゃんみたいに上手じゃないから。」と言っていた。「上手にできることが大切じゃないんだよ。」と言葉で伝えても納得はしてもらうことができなかったので、一緒に海の生き物をつくることにした。最初は色画用紙にペンで絵を書くだけだったが、紙を丸めたり、のりを使ったり、はさみを使ったりするようになった。また、お姉ちゃんはくらげの足をつくるために紐を使っていて、妹もそれの影響を受けたのかくらげをつくり始めた。

残り一時間くらいになったとき、「鬼ごっこしよう!!」と何人かの子どもたちに誘われ、どうしようかと悩んでいたとき、一人の子が「つくったものを持っていきたい!」と言った。私は「いいかも!」と思い、「つくったものを持っていこう」と声がけをしたが全員は難しかった。つくったまま鬼ごっこをするという活動が始まった。すると、水族館で見るイワシの群れとエイのように見えてきたので「みんな海の生き物になってみない?」と呼びかけると「私カメがいい!」「あたしはマグロね!!」「じゃあ鬼の人はサメにしようよ!」「いるかがいい~」など子どもたちに受け入れてもらうことができた。

不安だった気持ちもいつの間にかなくなっていて、私自身も子どもたちと同じ目線で考えたり、楽しんだりすることができた。

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2回目の参加だったので、ある程度イメージしやすくなった。準備する素材や必要な道具など前回に比べて、自分でも考えられるようになった。しかし、実行するまでに時間がかかってしまい、てきぱき行動することができなかったと反省した。

前回も来てくれて、今回も来てくれた子が何人かいて、嬉しい気持ちになった。保護者の方と一緒につくる子が多いように感じたのと同時に、子どもと関わるだけでなく、大人との関わり方を経験することができた。

「全体の人と関わろう」という目標で、この日を迎えたが、最後の方は姉弟の兄弟と一緒に海をつくることになった。きっかけは、お姉ちゃんも弟くんも黙々とつくっていて他人に興味をあまり示していないように感じたからである。話しかけると「うん」「ちがう」「そう」というような単語でしか言葉を返してくれず、少しだけ心がつらくなった。それでもしつこいくらいにそばにいて、「一緒につくってもいい?」という言葉から会話が弾むようになった。この姉弟は、海に砂浜をつくって、弟は海の生き物、姉は海の家やシャワー室などをつくっていた。海と言ったら、海の生き物だけではなくて、砂浜もあるなと改めて実感させられた。かき氷や焼きそば、おにぎりなどに、紐をちぎって麺にしたり、さらに細かくして海苔にしたり、外から雪を取ってきてかき氷にしたりと様々な工夫とアイデアを発見することができた。

机や椅子を置かずに、床でつくるということだったので、場所の制限がなくなった分、通路の確保が少し難しかったような気がした。

2日間を通して

2日間を通して、率直に、私も子どもの時に授業外でこのような活動をしてみたかったなと感じました。また、子どもたちと関わるのはもちろん、保護者の方や一緒に活動した先輩、後輩、同級生、そしてアーティストやカメラマンの方々と関わることができて楽しかったです。

素材にたくさんの種類とたくさんの量があったので、見ただけでワクワクしたし、それを用いて子どもたちがつくりあげていく海にもワクワクしました。子どもたちとどのように関わったら良いのか迷ってしまった時が何度かあったので、自分なりの関わり方を見つけられたらいいと思いました。

アーティスト・イン・スクールについて、あまりよく知っていなかったので、中島さんの子どもと関わる姿や子どもたちの中島さんに対する態度などからも学ぶことがあったような気がします。

群馬大学教育学部美術専攻2 黒野愛莉


 

「ここは、海です。」大学の先輩から今回のワークショップに誘われたとき、このタイトルからでは何をつくるワークショップなのか、あまり想像できなかった。

実際に行ってみると紙やマジックペン、ハサミ、のり、マスキングテープなどの材料が用意されていた。しかし参加している子どもたちはこれらに加え、自分たちでも材料を手に入れるようだ。「材料集め」と言って南橘公民館の外へ私を連れて行ってくれた。石や木の枝、落ちているペットボトルのキャップですら作品の材料になるのだと言っていた。

子どもたちは「海」からいろいろなものを連想し、各自で自由なつく品をつくっていた。私が一緒に作品をつくった子どもは、青い画用紙に魚や埋められた宝箱、それが隠されている「ひみつの部屋」、水死体の骸骨などを描いたり貼ったりしていた。また、人魚を描く女の子、海のトンネルを協力してつくる男の子たち、巨大な珍魚を持参した図鑑を参考に実物大でつくる男の子なども見られ、それぞれのつくりたいものを自由に、思いきり、やりたいようにつくっている印象だった。また中島さんは決して「否定的」「禁止的」な事を言わずに子どもたちと制作を楽しんでいた。これが子どもたちの解放的で自由な発想に繋がっているのではないかと思う。

そして私が驚いたのは、作品をつくらない子どもも参加していたことだ。ある女の子は作品をつくることが好きではないと言っていた。しかしほかの子どもがつくった作品で遊んだり、外に出て走り回ったりしていた。ほかのワークショップはつくるものがある程度決められ統一されていることが多いから、このような子どもは参加したがらないだろうと思う。この自由なワークショップは、絵や工作が嫌いまたは苦手な子どもが、発想や表現の場に参加する機会になる。

このワークショップに参加し、子どもたちが持っている可能性、発想、表現の方法は無限大であるということを実感することが出来た。また、図工や美術の授業のあり方についても考えさせられた。子どもたちの表現の場において規制はあまりしたくないし、そこが劣等感を生み出す場であってほしくないと感じた。

群馬大学教育学部美術専攻1 成清茜加里


私が主に見ていた、あおいちゃんなどのグループについて

・素材集めでは、誰かの家のベランダの下に大きな洗濯ばさみが落ちていたが、持ち主が探してたら困るよね・・・といって素材として持って帰らず、落とし主にわかりやすいように目立つところに置いといてあげよう!といっていたが、そのあと、その洗濯ばさみを材料として持って帰ったほかの子がいて、あれ持って帰ればよかった~!と悔しがっている姿が印象的だった。

・何をつくろうね、という話になって旅に出る用の服をつくりたい!という案が出たのであおいちゃんたちのグループは服をつくることになった。しかし、図工が得意ではないと言っていたみりあちゃんが何もつくらずにつまらなさそうにしていたので、どういうものが好きか聞いたところ、バトル系?のようなものが好きそうだということがわかったので、一緒に武器をつくって戦おう!!と誘ったところ、のってきてくれた。自発的にこれをつくろう!とならなかったのが惜しいところだが、何かをつくって、楽しそうに武器の強度を高めている様子が印象的だった。

・みんなでできた武器を持ち寄っておしりをたたかれたら負け、というゲームを行った。みんな自分のつくった武器を使って楽しそうにバトルしていた。

・二回戦では一回戦の反省を生かして、武器の強化や、改良の時間を挟んだのち、二回戦を行った。この剣はすぐまがっちゃうな~、といいながら、中に拾ってきた木を包み工夫して強度を上げたり、魅力的な武器のつくりにしていた。

感想

私は今回このワークショップに参加するのは初めてで、子どもたちとどんな関わり合いをしていけばいいか最初は少し戸惑ったが、やっていくうちに何かを教える、というより一緒にいい刺激を与えあいながら何かをつくっていくということが根本にあると感じた。自分は塾のバイトをしているのだが、先生対生徒のような関係になりがちである。バイトの時や、教育実習の時は私自身、自分のことを先生と呼んでいるが、ワークショップなどでは私は先生ではない。いつもの癖で自分のことを先生・・・と言いかけてしまう瞬間が何度かあった。子どもとのかかわり方は教える側と教わる側の形だけではないということを学んだ。もし、機会があったらまた行ってみたいと思った。とても有意義な時間だった。

群馬大学教育学部技術専攻1 大井葉月


「死んだ魚」

この日のワークショップの中で、私と子どもたちの中で定期的に起きた遊びであり、私が海の魚の姿の固定観念が揺らいだ遊びである。この遊びが生まれた背景にはワークショップ準備の時の中島さんと私のやり取りがあった。

公民館に設置する看板をつくっている時、海といえばまず魚が思い浮かんだので、私は画用紙を魚の形に切って看板に貼った。しかし、中島さんに「それはずして。」と言われた。「おさかな」という具象物であることが気に入らなかったのだと思ったのだがそうではなかった。

中島さん「それじゃあ水族館みたいじゃん。海で真横から魚見ることある?」私「手のひらに乗せてよく見てます!」中島さん「あーたしかに。でも泳いではいないよね。」

ということで私はパックの中に水を入れて、そこにボツになった魚を入れてみた。その姿を見て、確かに自分が海に行った時に見ている泳ぐ魚の姿の多くは真上からの姿だということに気が付いた。横向きで泳ぐ魚を見ることが多いのは中島さんのいうように水族館で見ることが多い。水に入ったボツの魚の姿は、泳いでいるというよりも、「死んだ魚」が水面に浮かんで漂っている姿だった。

ここから、私はワークショップ中に「死んでいる生き物だけこの中に入れていい」という条件をつくり、子どもと一緒に死んでいるもの(動かないもの)をパックの中に集めていった。貝(小石)やクラゲ(養生テープを丸めたもの、雪の塊)などが加わった。ワークショップの片付けの時間になり室内の掃除を始めると、床には魚がいくつも落ちていたので拾った。それらは私が一番初めにつくった魚と同じ形で、パックの中に入れるとみんな「死んだ魚」になった。

あんなちゃん

第一回目の海の回で「死んだ魚」をパックに入れて飼うという遊びをした。あんなちゃんがおうちに帰ってそのことをお母さんに話したら「おもしろそう」と言ってくれたらしい。あんなちゃんのお母さんは家庭の豆腐のパックを第二回のワークショップで死んだ魚を入れられるようにいくつか取っておいてくれて、それをあんなちゃんが持ってきてくれた。家に帰ってワークショップの話が出たことや、そもそも「死んだ魚」という言葉を聞いただけではよくわからなかったり、気味悪がられたりしそうなところを、きっとあんなちゃんがその時の出来事を家族にじっくり話したからこそ、あんなちゃんのお母さんからの「おもしろそう」という言葉になったりパックを取っておいてくれたりということにつながったのだとおもって嬉しかった。

ただ、せっかく持ってきてくれたのに、私はこはくちゃんに引っ張られっぱなしであったため、あんなちゃんの所に行って一緒に死んだ魚で遊ぶ時間をつくれないまま終わってしまった。あんなちゃん一人では死んだ魚で遊ぶということは起きなかったため、あんなちゃんのところに行って遊ばなかったことが心残りである。

群馬大学教育学部美術専攻4 狩野未来


(執筆=中島佑太+スタッフ、撮影=木暮伸也、編集・投稿=中島佑太)

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