【関連シンポジウム:記録】トークセッション② 「あかつきの村から考える共同体」


※展覧会「表現の森 協働としてのアート」(2016/7/22-9/25)の関連企画として開催したシンポジウム(2016/8/27, 28)の内容をお届けします。
>>シンポジウムと登壇者のプロフィールはこちら

ベトナム難民のなかでも特に障がいを抱える方たちの生活支援を行う「あかつきの村」。1979年にキリスト教のエマウス運動を実践する共同体として始まり、「ベトナム難民定住センター」として多くのインドシナ難民を受け入れた経緯を持つ。このあかつきの村で創作ユニット、Port Bがリサーチを行い、映像や朗読、フォーラムの開催などを通じて共同体の問題を考えた。Port Bのこの一連のパフォーマンスを《前橋聖務日課》として発表した。本トークセッションではPort Bのメンバーとあかつきの村に勤める櫻井洋樹氏をスピーカーに、また臨床心理士の猪股剛氏をゲストに迎えて進めた。

◎日時:2016年8月27日(土)14:30-15:30
◎スピーカー=
高山明(演出家/Port B)
林立騎(Port観光リサーチセンター/Port B)
田中沙季(リサーチャー/Port B)
櫻井洋樹(社会福祉法人フランシスコの町 あかつきの村 精神保健福祉士)
◎ゲスト=
猪股剛(臨床心理士)
◎モデレータ=
石原孝二(東京大学大学院総合文化研究科准教授)
◎進行=
今井朋(アーツ前橋 学芸員)

あかつきの村でインタビュー映像を撮影するPort B、2016年

あかつきの村で映像を撮影するPort B、2016年

 

あかつきの村を伝え、感じてもらうこと

今井:このトークセッション2では、Port Bのみなさんと前橋市内にある「あかつきの村」で行ってきたプロジェクトの報告と検証ということで、ラウンドテーブルを開催します。最初にアーティストの側と施設の側、それぞれの視点からプロジェクトについてお話いただき、次にゲストの猪股剛さんからお話をいただきます。その後、意見交換という流れで進めたいと思います。
Port Bのみなさんは、演劇を中心に作品を発表されており、今回もチームでプロジェクトに参加してくださっております。今回は高山明さん、林立騎さん、田中沙季さんの3名でチームを構成しています。どちらかというと高山さんが全体のビジョンを思考し、林さんと田中さんがリサーチャーとして現場の人たちのヒアリングなどをまとめていくという形で、今回のプロジェクトに関わっていただいております。では高山さんのほうから今回のプロジェクトの説明をお願いいたします。

高山明氏 Photo: KIGURE Shinya

高山明氏
Photo: KIGURE Shinya

高山:こんにちは、高山と申します。今日はどうもありがとうございます。まず最初に、僕らがやっているプロジェクトには三つの軸がありますが、そちらから説明したいと思います。今回参加するにあたって、今井さんからあかつきの村という共同体があるとお話を伺ってとても興味深いところだと思い、何度かお邪魔させてもらいました。今日来ていただいた櫻井さんや、僕らがビデオを撮らせてもらった佐藤さんをはじめ、あかつきの村の方々にお会いし、場所のリサーチが始まりました。

そのなかで三つのことを行ってきました。一つは映像制作です。映像作品という形で今回の展覧会に展示していますが、これが一つ目のリサーチの成果になります。あかつきの村は、ベトナム難民で統合失調症などを発症された人たちを受け入れている施設ですが、ここでは佐藤さんとおっしゃるあかつきの村で15年ぐらい働いている女性と、サンさんというベトナム難民の方にフォーカスをあてています。
二つ目が展示スペースでの朗読です。佐藤さんが、初めてあかつきの村に来たときに実習記録を書いていらしたのですが、その実習記録をアーツ前橋のそばにお住まいになっている天笠恵子さん(通称ニャムコムさん)に毎日朗読していただいています。今日も16時から展示スペースで朗読をしていただく予定です。
三つ目はこの展覧会の期間中に、ここ(アーツ前橋のギャラリー)をお借りして臨床心理士の猪股剛さんとゲストの対話を全5回のフォーラムという形で行っています。いろいろなゲストを呼んであかつきの村という共同体について、あるいはそこから派生して、難民や病者の方々について、彼らを撮影し記録することについて、宗教についてなど、いろいろな議論を深めてきました。その議論をメディアパフォーマンスといって、前橋で活躍されているプロのジャーナリストの方(*1)と林さんにウェブサイト上で報告をしていただいています。展示、朗読、フォーラムとメディアパフォーマンス。その三つになります。

*1……読売新聞東京本社前橋支局の梁田真樹子氏、上毛新聞社の毒島正幸氏に報告記事の執筆をお願いした。また、地元でフリーペーパーなどの編集を行う福西敏宏氏にも参加していただき、Port Bの林氏を含め毎回4名の報告記事をフェイスブックページにアップしていった。

今井:高山さん、ありがとうございます。そうしましたらあかつきの村の施設の側から今回のプロジェクトがどのように見えたか、櫻井さんからお話いただけますでしょうか。

櫻井洋樹氏 Photo: KIGURE Shinya

櫻井洋樹氏
Photo: KIGURE Shinya

櫻井:こんにちは。社会福祉法人フランシスコの町 あかつきの村の櫻井と申します。今回、初めてアーツ前橋の方からお電話をいただき施設をご案内し、「アート」ということで何か協働できることはないですか、とお話をいただいたときに、あかつきの村にいらっしゃる方と協働で作品をつくっていければといった話を最初のほうにお聞きしました。でも、ちょっと客観的に見ても自分の施設にいらっしゃる方が、芸術家たちと一緒に何かを創作する姿が全く想像できなかったんです。お話をお受けしてしまっていいのかとか、かえって迷惑を掛けてしまうことになるんじゃないかといった心配もあって。なんていうんですかね……。それまで芸術性というものとあかつきの村が接してきたこともなかっただけに、とにかくそういう心配や不安がいつもありました。

ですが実際、毎週少しずつPort Bの方とアーツ前橋のみなさん、群馬大学の方たち が何度も訪問してくださってお話をしていくなかで、少しずつ表現の形が見えてきました。あかつきの村は一言で「こういう所です」と説明するのが本当に難しい場所で、僕も2007年にあかつきの村に入職しましたが、形があるようでないような場所なんです。仕事をしようと思っても流れがどこにあるのかもよく分からない。いろんな人がひっきりなしに行き来したりして、なんとなく施設はこんな感じなのかな、というのがつかめるまでに2年ぐらいかかりました。
そういうあかつきの村を人に伝えていったり、感じてもらう表現の形が今までなかったような気がします。それは、もともとあかつきの村はカトリック教会の神父様が始められたところでもあり、今でもその宗教性が強く出ている部分があるため、マスメディアのような媒体を通じてオープンにしていこうと思った場合に、そういったものが切り口として除外されてしまう部分があるからです。こういった今のあかつきの村全体を表現していく術がないなかに、芸術はありのままを表現していくことができるツールでもあって、今回の展覧会でも、例えば宗教性みたいなものが、普段行われていることとしてそのまま強く表現していただいていた。それが本当に大きかったのかなと感じています。

今井:ありがとうございます。今、櫻井さんがあかつきの村が芸術性のあるものと今まで接してきたことがなかったとおっしゃられていましたが、あかつきの村は1979年に石川能也(いしかわ・よしや)神父が「エマウス運動」の一環としてつくった、西大室町(にしおむろまち)にある共同体ですが、実はこの石川神父はもともと群馬大学で美術の勉強をしていたんです。

実際にリサーチに伺ったときに、石川神父の書斎を見せていただいたことがありました。そのときにすごく私のなかで印象に残ったのは、その書斎のなかに19世紀のフランスの画家であるセザンヌの画集がたくさんあったのです。芸術の関連書籍が非常に多くて、石川神父自身も芸術性のなかから宗教に出会う、といった過程をもしかしたら経験してきた人なのかもしれないな、と思いました。実際に石川神父は、群馬大学で美術を学んだ後に、神学の道に進んでいきます。そういう意味ではあかつきの村には宗教的な部分と同時に、その根源にもしかしたら芸術的な部分が見え隠れする、そういった場所だったのかもしれない、と思いました。

次にゲストの猪股さんにお話を伺いたいと思います。あかつきの村のリサーチを始めた頃、Port Bのみなさんとリサーチに伺うときに猪股さんにも来ていただいて、一緒に施設でお話を伺うなどしました。そうした今回のプロジェクトに半ば関わっていただくような形で参加いただいていますが、どのような関わりかというところからお話いただけますでしょうか。

猪股剛氏 Photo: KIGURE Shinya

猪股剛氏
Photo: KIGURE Shinya

猪股:今ご紹介いただいたように、僕は非常に中途半端な関わりをしております。Port Bというアーティスト集団に対して、僕の距離感は常にこうした関わり方をしています。内側にいてできることはあんまりなく、完全に外側にいてできることもなく、この円卓に付いていること事体が本当は微妙に違っていて、ちょうどこの1メートルぐらい後ろに下がった辺りにいるのが、たぶん僕の常な立ち位置だと思うんです。

境界線から入ってみたり出てみたりを繰り返す、精神分析や臨床心理といった分野で仕事をしているので、普段は個人を相手にそうしたことをしています。作品とか団体とか共同体とか場とか、そういうものを中心に、今回は内側に入ったり外側に出たり、をやらせてもらっている感じかなと思います。
特にこれまでに開催した4回のフォーラムでは、作品とあかつきの村を巡り、今お話に出た宗教性や共同性というか、いったいどうやったら人は一緒に生きていけるんだろう、といった話や、どうやったら誰かを排除しないでやっていけるんだろう、というような話をまず探していました。なぜフォーラムみたいな形を取っているのかというと、たぶん探してはいるんだけど、答えを出そうとしているわけじゃないんです。今までのフォーラムでもあかつきの村の風通しの良さ、どこか漂流している船のような在り方、それが不安につながることもあるかもしれないけど、でも自由につながることもあるかもしれないような場所なんだと思います。答えじゃない漂流感とか、答えが出そうで出ないかもしれないところに関わり続けることを、いったいどうやったらできるんだろうと、フォーラムを数回やりながら僕自身も探しているし、みなさんと一緒に探してみたいと思っています。

先ほど、冒頭で高山さんの説明にもありましたが、毎日ここで天笠さんが佐藤さんの日誌を朗読していることで今がずっと続いていく感じもあるし、1979年にあかつきの村ができてから、決して忘れられないおろそかにできない過去もあるし、宗教性ってたぶん「どこからが未来で、明日はどうなんだ」ということと非常につながっているし、現在や過去、未来みたいなものを考えていくんですけれど、僕はそれをどうやって混乱させるか、あんまりきれいな流れにならないようにどうやってかき混ぜるか、という側を担っているのかと思います。でも混乱を通じて時間が立体化したり空間が流れたりすることが起きたらいいなと思ったりしながら関わっています。説明しているようなしていないような話になっていますが……。

 

何のためのプロジェクトか、目的は何か

今井:猪股さんありがとうございます。ここからはラウンドテーブルという形にしたいと思います。石原先生のほうから、今回の作品をご覧になり、今のお話を聞かれてのご意見やご感想等から始めていただければと思います。

石原孝二氏 Photo: KIGURE Shinya

石原孝二氏
Photo: KIGURE Shinya

石原:トークセッション1でもご挨拶しましたが、哲学を専門にしております。最近は精神医学の哲学をやっておりまして、そういう意味ではこのあかつきの村という場には非常に関心を持っております。
少し個人的なことを申しますと、僕は群馬県太田市の生まれで、小学校、中学校は毎日赤城山を見ながら通学していました。赤城山のふもとにはどういう人が住んでいるんだろうか、とよく思っていました。その赤城山のふもとにあかつきの村があったということで、今不思議な感覚を覚えております。

このプロジェクト事体もすごく不思議で、何からお聞きしたらいいのか、少しとまどうところがあります。まず今回のプロジェクトは何が目的か、といったことからお聞きしていきたいと思うのですが、高山さん、そして林さん、田中さんにもお聞きしたいと思います。

高山:目的というと分かんないですけれども、例えばあかつきの村のためにとか、統合失調症になってしまった人のために何かをやるとか、あるいはフォーラムでもそこで一つの結論を出すとかがない感じなんです。
では何のためにというと、そもそも芸術やアートに携わる人間としてあかつきの村のような施設や共同体にどういうふうに関わればいいのか、あるいは関わることができるのか、そしてむしろ芸術のほうがあかつきの村のような場所や人たちを必要としていて、その人たちからまず僕が個人的にどれだけ多く学べるのか、というのがむしろ目的といえば目的で、全体として何かの行使をするための目的があるかというと、あるのかもしれないけれどとても言語化はできない、というのが正直なところです。

ゲストに石倉敏明氏(人類学者・神話学者)を迎えた「前橋聖務日課」第1回フォーラム(2016年7月23日15:00~18:00)

ゲストに石倉敏明氏(人類学者・神話学者)を迎えた「前橋聖務日課」第1回フォーラム(2016年7月23日15:00~18:00)

:僕は今回リサーチ段階から一緒にあかつきの村に通って、展示スペースにあるテーブルに『Port B《前橋聖務日課》 「あかつきの村」リサーチ報告』という小さい冊子が置いてあるんですけれども、そちらの文章を執筆いたしました。それが僕自身のメインの関わり方でして、作っているときは正直目的といったことをあまり考えているわけじゃないんですけれども、先ほどのトークセッション1で、石原先生から今回のシンポジウムの二つのポイントとして、アートは福祉やケアの現場に何らかの役に立つのか、もう一つは役に立つとしたらそれを継続あるいは拡大していくためにはどうすればいいのか、という問題提起がされました。とても率直にいうと、例えばアートが「役に立つ」ということになった場合、役に立たないアートには価値がないことになりかねないわけです。役に立つことに価値を認めた瞬間に、役に立たないものには価値がないことになって、それはきっとアートの議論だけではなくて、今の社会のいろいろな場所に見られる一つのテーマだと思います。こういうプロジェクトに関わるなかで、役に立つのかどうか、役に立たなければ価値がないのかといった、社会的に広まった枠組み自体が結構行き詰まりを持っている、と僕自身は感じています。むしろどれくらい多様に、そういう枠組みそのものから抜け出ることができるかとか、そういう枠組みとは別の捉え方や感じ方ができるのか、ということがとても重要になるんじゃないかな、という気はしています。

林立騎氏 Photo: KIGURE Shinya

林立騎氏
Photo: KIGURE Shinya

では、そういう点で僕自身がどういう作業をしていったかというと、今回このシンポジウム自体がとても時間が限られていることもあって、今井さんが櫻井さんに事前にシンポジウムの準備のためにお話を伺ってくださって、その資料をわれわれに送ってくださっていたんです。それで、僕らはそれを読ませていただきました。
そのなかで櫻井さんは「今回のPort Bのあかつきの村の日常の切り取り方には希望を見いだせる」とおっしゃっていました。先ほどの冊子『Port B《前橋聖務日課》』にも少し書いたことですけれども、つまりあかつきの村はいろいろと大変な時期もあって、それがメディアに報道され、何の希望もないような切り取り方をされてきた過去もありました。それに対して、今回この切り取り方に希望が見いだせたと櫻井さんがおっしゃってくださった。関わった自分たちでその言葉を引用するのもちょっとあれですけれど、何がいいたいかというと、僕自身、例えばいろんな資料をいただいたりリサーチをして文章をまとめるときに、客観的なまとめ方、もしくはあかつきの村の立場でまとめるとか、そういうことよりも、どこにどういう希望が見いだせるのか、みたいなことはいつも考えています。1979年から40年近い歴史があるあかつきの村という場所にはその時々でいろいろな苦労がなされていたと思うし、とっても苦しんだ人や苦しみの末に駄目になってしまった人、離れてしまった人、いろいろな方がいたと思うんです。
これはきっと宗教みたいなものとも少しつながると思うんですけれども、歴史のなかで人が苦しんだことが、現在の私たちの希望につながることってきっとあると僕は思っていて、あかつきの村の歴史を教えていただくなかで、こういうところにはもしかしたら現代社会のための希望があるのかもしれないとか、こういうところを伝えてみたい、言葉にして残してみたいといった僕自身の見方が出てきました。

ですので、何の目的でこういうことをいっているのかはとても難しくて、いろいろな偶然で関わるものだったり、今井さんのおかげで関わることになったりという、いろいろあるんですけれども、たとえ偶然的に関わることになって出会ったのだとしても、そこに見いだせる希望、つまりあかつきの村のなかの人ではない立場だからこそ、見いだせる希望や可能性みたいなものが見つかったときに、それを言葉にして残したいとか、映像にして残したいとか、それがまたフォーラムという形でさらに別の言葉になって、答えにはつながらないけれど、少しずつ物事が広がっていったり別の場所に接続していったり、言葉がつながれていく、そのこと自体が役に立つのか立たないのかっていう結論を付けるよりも、アートや今の社会にとって大事なんじゃないかな、ということを考えながら今回関わってきました。

田中沙季氏 Photo: KIGURE Shinya

田中沙季氏
Photo: KIGURE Shinya

田中:今回のプロジェクトは大きなテーマがいくつもあって、とてもこの短い時間では答えることが難しいと思うんですけれど、今石原さんにいただいた質問は、大きいことを縮めて答えられる、いい質問をいただいたと思いました。

「どういう目的か」というのはやっぱり答えられないと思います。ただ、なぜ答えられないかということだけはものすごいクリアにありながら活動をしています。
先ほど猪股さんの言葉にもありましたが、そこ(目的)がクリアになってしまうと、混乱とかそういうことを受け入れるスペースがなくなっちゃうと思うんです。そのスペースがないと、ここから開いていくこともできないし、こういう目的でやるぞってなったときに失われるもののほうが多いと思うので、目的がないけれども、目的がないというスタンスでやっていることはクリアだし、すごく重要だと思いました。

目的はないんですけれど、方向性や軸はある。Port Bのプロジェクトに共通しているのが、考えるプラットフォームを開くことが一つあると思います。今回のプロジェクトもそれを具体的に実践できていると思っています。プラットフォームというのはこういうシンポジウムもそうですし、連続フォーラムもそうですが、外の人にひゅっと入ってもらいやすい環境をわれわれで用意して、そこでたっぷりと時間をかけて考えられるような場と時間をつくっていくということです。
例えば「共同体」というテーマだったら、今、人とどうやって生活していったらいいのか、どのように一緒に生きていけるのか。根本的な問題を立てて考える場をつくることがどのプロジェクトにも共通していえることだと思います。
昔から演劇は、自分たちの生活を考え直したり、どうやったらよりよく生きているのかという場を通じて、近くの人たちと一緒に考えていく役目がありました。ですので、目的はないにせよ、そういう方向性はあると思ってやっています。

 

アートという手法が、希望につながる部分

石原:今回のプロジェクトは、今井さんのほうからあかつきの村を紹介して、何かやってもらえないかと持ち掛けたという流れだったのでしょうか。そのときの今井さんのご存意というか、どういうものを期待して高山さんに相談したのでしょうか。

今井:「表現の森」で、前橋市内で行われた5つのプロジェクトは、私たちのほうから作家と一緒に場所を探していったものもありますし、Port Bさんに関してはあかつきの村で何かやってみようという前に、どういった人たちを対象にプロジェクトをやっていくことができるのかという話し合いを持っています。Port Bさんたちは、移民や外国人をテーマの一つとして作品をつくられてきたご経験がありました。

今回のこの5つのプロジェクト全てにいえるのは、決して簡単なプロジェクトではないと私自身が思っています。特にアーティストの方たちにとっては、かなりいろんなハードルを越えてもらわないと作品を制作するところまでたどり着くとは思わないんです。そうすると、作家さんたちが既に関わった経験がある分野の人や場所を見つけて、彼らが日常的に考えているテーマをさらに発展させられるような、そうした場所を前橋でのプロジェクトでも見つけられたらいいなと思いました。

そう考えたときに、高山さんをはじめPort Bのみなさんとお話したときに、例えば前橋市内に個々で暮らしている外国の方たちを対象に何かやることはできないかとか、群馬県内であれば大泉町のようなブラジル人がたくさん住んでいる場所もありますし、そうした所からアプローチをすることはできないかとか、いろんな可能性が出ました。
ただ私たち自身が前橋市役所の人間で、ここは市立の美術館ということもあり、まず前橋市の外に出て行くのはリスクがある。例えば大泉町でも既にいろいろなプロジェクトをしているなかで、あえて前橋市の行政がそこに入り乱れるように入って行くのはリスクが高いと思いました。やはり私たちが拠点としているこの前橋市で何かをしていきたいと思ったんです。

そこで前橋市内で何かをしてみようと、いろいろリサーチをしたときに海老原周子(えびはら・しゅうこ)さんという多文化共生の分野で、「新宿アートプロジェクト」というNPOの活動をされている方と会う機会があり、海老原さんにご相談をして、前橋市内で一緒にリサーチを始めました。その頃、「あかつき村」が新聞やテレビで紹介された時期でもありました。

そうしたメディアなどを通じたリサーチからあかつきの村という場所を知り、実際に訪問しました。初めて訪問したとき、誰でも受け入れてくれるような空気を感じたのです。もしかしたらそれは私たちが表面的に感じていたかどうかは分からないんですけれど、ただ私自身は自分のなかですごく親和性が高い場所だというのを強く感じたんです。それがどういったところからっていうのはちょっとまだ具体的には私のなかでは言葉にならないんですけれど、ただ芸術というものに慣れ親しんだ私自身が行ったときにここだったら何かすごく得られるものが多いと思いました。スタッフのリーさんというベトナム難民の方が、DIYでつくられた非常にユニークな建物がたくさんあったり。高山さんもよくおっしゃるのは、あかつきの村がある場所はもともと参道だったんです。参道だった場所の脇にいろんな建物があって、その建物の立地も非常にユニークです。それはおそらく人の行き来がうまく循環できる立地なのかもしれないと感じました。

そして櫻井さんやリーさん、そのほかのスタッフの方々にヒアリングさせていただいたときにここはもう何かやるしかない、というような、私のなかでもモチベーションが高くなるものを感じました。そこで高山さんに紹介したときに、それなら一緒にしていただけるとお話があって、このプロジェクトにつながりました。

あかつきの村からの眺め 画像提供:Port B

あかつきの村からの眺め
画像提供:Port B

石原:ありがとうございました。人文学とかもそうだと思いますが、役に立つか立たないかという議論は、哲学ではさんざん行われてきた議論で、僕としては哲学はすごく役に立つと考えているんですけれども、人間というのは本来哲学的な部分をみんな持っていて、哲学的な問いはみんな考えたことがあるはずなんですよね。ただそれをずっと考え続けていくとか、職業にしていく人はごくわずかだと思うんです。

それで「アートは役に立つか」といういい方は、ちょっと言葉足らずだったかなという気もするんですけれど、むしろそのアート的なものは、前回のトークセッションで、僕は美術の成績が悪かったといいましたけれど、そういう人間でもアートはやっぱりやりたいわけです。何か表現したいとか、まとめたいとか、いいたいっていうのはみんなあるもので、それが役に立つか立たないかという議論はそもそも意味がないと思うんですけれど、むしろ考えたいのは、アートを職業としている人たちが、そうではない人たちに対して何ができるのかということを聞きたかったというか、それを考えたかったということなんです。

このプロジェクトはすごくいろんなものが複雑に絡み合っていて、つまり「これをやるんだ」という感じではないと思うんですよね。僕が見せてもらったのは、フォーラムの報告だけで、映像のほうはまだ全て見られてないので何が作品なのかが、僕のなかでまだよく分かっていないんだな、ということが分かりました。先ほど、櫻井さんが希望を見いだせるというようなことをおっしゃっていたというお話がありましたが、その辺りをもう少し具体的に伺って、それを手がかりに議論できればいいかなと思います。

櫻井:自分でいった記憶が定かでなくて、今一生懸命よみがえらせています(笑)。展示で流れている映像のなかに、佐藤さんとサンさんという方が登場しますが、サンさんはベトナム難民で日本に来られています。ただベトナムを出た経緯としても、自分の意志で国を出ようと思ったわけではなく、脱出しようとしている人を目撃してしまって、通報を恐れた人にほとんど拉致されるような形で、自分の意志と関係なく日本に来られた経緯がある方なんです。
その後、自分が生活していた生活基盤と全く違った文化圏のなかで生活していくことになって、当然不適応といったことが起こり、数年経った段階で帰国の希望がありベトナムにお帰りになったことがありました。ただ、おそらくベトナムのご家族も非常に経済的に貧しい世帯でもあり、病気になった息子さんを受け入れて家族として生活していくことがもう難しかった。石川神父に、家ではもう面倒が見られないから日本に連れて帰ってください、と。それでまた日本に戻ることになったんです。

それから病状が一気に悪くなり、自ら人や社会との関わりも一切断ち切ってしまったんですけれども、展示されている映像にあるように、佐藤さんとの関わりが始まっていき、本当に信じられないような笑顔、そういったものをわれわれに見せてくださるようになりました。あの映像を見て、みなさんがどう思うのかは僕にはよく分からないんですけれど。僕もあかつきの村で生まれたわけではないので、あかつきの村に初めて行った日があるわけです。その初めて行った日に衝撃だったことが、佐藤さんから聞いたサンさんのエピソードでしたし、佐藤さんといるときのサンさんの笑顔でした。サンさんの体験だけ聞いてしまうと、何の希望もない話だと思うんですよね。これから何に希望を見いだしてサンさんが生きていけばいいのか、そんなことは僕にはやっぱり分からないんです。それだけの体験を自分はしたことがないですから。

そうしたことを考えていくと、先ほどの価値とかっていう言葉がいろいろあると思うんですが、基本的にサンさんは仕事ができるとか、何かを成すといったことはやっぱり社会的な判断基準で見ればたぶんないですよね。ただ、僕が初めてあかつきの村でサンさんの笑顔を見たときに、本当になんだか言葉にならないけれども、すごい安心感というか、そういうものをもらった感覚があったんです。それは何なのかは、僕のなかでもまだこれからもずっと考えて、問い続けていくことでもあるとは思うんですけれども、この感覚ってもしかしたらあの映像をご覧になった方のなかにも、同じような不思議な感覚をお持ちになった方がいらっしゃるんじゃないのかなと思うんです。

それが何かは、本当に人それぞれで分からないことだと思いますが、僕はあかつきの村のあの場所としての価値が一番大きなものとして何があるんだろうと考えたら、やっぱり利用者の方たちがあかつきの村にいらっしゃるからこその独特の雰囲気や、僕らに対しての居心地の良さや安心感、こういったものは皆さんからいただいているものなんじゃないかなと思うんですよね。

そうした意味で、僕が2007年に入職して今まで仕事を続けていくなかで、あかつきの村の独特の雰囲気は何だろうということを人に伝えていったり、あかつきの村に来た方には直接見ていただいてお話をする形でお伝えできるけれども、それを社会に発信していく手段を考えると、やはりテレビや新聞といった形でどこか切り口を限定しなければならない部分が出てきます。

例えば展示で流れている映像は、サンさんのありのままの状態であり、ただ日々繰り返されているリアルな日常です。この映像を見たときに、初めてあかつきの村に行ってサンさんと出会った日を思い出す感覚があって、これが表現されたということなのかな、と。あかつきの村のそのままの有り様を表していくにはどうすればいいかと考えた場合、アートという手法を通じて今回それが初めてできたのではないかな。その意味で「希望」でしょうか。

あかつきの村、2016年 写真提供:Port B

あかつきの村、2016年
画像提供:Port B

 

映像作品として、どこを切り取り、見せていくか

石原:サンさんの映像は少し見せていただきまして、非常に印象的な映像でした。そういう場合、やはり「作品」なのでしょうか。つまりドキュメンタリーではなく、記録でもなく「作品」としてつくっているということでしょうか。

高山:ドキュメンタリーも作品だと思うのですが……。

石原:ドキュメンタリーという言葉を使わないほうがいいかもしれないのかな。トークセッション1でも話し掛けたのですが、「えいめい」での石坂さんと山賀さんが行っている音楽的なものを岡安さんが記録しています。記録するときに、その場で起きたことをそのまま伝えたいのか、それとも映像自体を価値あるものとして、作品としてつくりたいのかという二つの方向性があると思うんですけれども。というか、作品としていいものは、櫻井さんが「希望を持てた」というように、やはり見ている側への何らかの効果があると思うんです。でもそれが、言葉が適切かどうか分からないんですけれども、感情操作をしようとしている部分もあって、作品によって感情を動かすもの、それはいい感情にせよ嫌な感情にせよ、理念性を揺り動かすことを目的につくるわけなので、現場に行けない人の代わりに何かをただ記録するのとは違うものだと思います。そういうものが作品だろうと思うんですけれども、そういう作品をつくることの意義がどこにあるのだろうかといった質問になります。

高山:今おっしゃったように、映像作品になっていると思います。ただドキュメンタリーと作品の違いは実は分からなくて、ドキュメンタリーの作品もあるし、フィクションでもドキュメンタリー性が高いものもあると思うし、その辺りの境界の引き方はそれぞれだと思うのですが、僕は常にその区分けする前の状態に自分を置きたいという気持ちがあります。何をどう撮るかという時点で、たとえそれがドキュメンタリーであったとしても、本当にごく小さな時間しか切り取れないんです。その部分を選んでしまっている時点で、ものすごく恣意的で限定したものを「これがあかつきの村ですよ」と見せているところがあると思うんです。ただ、まんべんなくオープンにしたい、客観的に見せたい、といった幻想に寄り添ってしまって、切断しないほうが、むしろそれはアートではないというか、それはやっちゃいけない、というのは考えました。

今回ビデオをつくるときに二つ注意したことがあって、一つはサンさんと佐藤さんの関係をとらえたいということ。もう一つはあかつきの村の道です。山に向かって垂直に走っている道ではなく、山に並行して走っている道で、入り口が両端に二つあり、道沿いにいろんな建物が建ったり壊されたりしていることをなんとかして伝えたいと思いました。

それからもう一つ、櫻井さんは出演されていませんが、それも大きなポイントでした。あかつきの村の石川神父は、おそらくカリスマ性のある中心になり得る人だったと思うんですけれど、たいがいそういう村やコミューンは、つくった人が亡くなってしまうと、つぶれてしまうんです。全国に一時的に広がった数多くのコミューンの結果を見ていると、あまりにも質が変わって無くなってしまうことがほとんどじゃないかなと思うんです。ただあかつきの村の場合は、石川神父が亡くなった後も奇跡的にうまく形をかえて残っている。佐藤さんと話をしたときに「(石川神父の)後任は絶対に櫻井さん」みたいなことをおっしゃっていたんです。あれだけのカリスマが亡くなった後に、櫻井さんが来た。櫻井さんも初めは全然どう振る舞えばいいか分からなかったけれども、逆にそこがうまく変化できたポイントだったんじゃないかということを佐藤さんはおっしゃっていました。佐藤さんとサンさんの関係を通し、宗教から始まった施設でありながら宗教者でない人たちも受け入れる施設になったのかというのを、映像を通して伝えられるのか。それを考えたかった。その辺りを櫻井さんにも伺ってみたいです。

Port B《前橋聖務日課》の一部、映像、2016年 画像提供:Port B

Port B《前橋聖務日課》の一部、映像、2016年
画像提供:Port B

 

櫻井さんという風穴とあかつきの村

櫻井:自分ではすごくいいづらいですね(笑)。一つには、高山さんのお話にもあったように、石川神父という本当にカリスマ性の強い方があかつきの村という所をつくって、それだけのカリスマ性があったからこその活動性の広がりがあった。これは本当に事実だと思います。

もともとはカトリック教会だけの力で運営してきたようなところで、公的な資金はほとんど入らない形で、難民支援といったものを継続してきました。これは本当に大変なことだったと思いますが、社会の変化のなかで、途中から難民の精神障がい者、そのなかでも特に重度といわれるような方たちがあかつきの村に集められるようになった経緯から、そういった方たちをサポートするための専門性や施設性という概念が必要になってきました。そういう段階で時代の変遷により、カトリック教会で支えてきた部分のなかに二項対立性を感じる、障害福祉サービスや専門職といったシステムがあかつきの村に入ってきました。高山さんのお話にもあったように、戦後、篤志ある方、熱意ある方が立ち上げてきた施設が、何十年も経るなかで世代交代や、サービスの概念が入ってきたことで、初めの理念が薄らいでしまうことがやっぱり出てきます。

専門性が入って施設色が強くなれば、もともと施設というかその場所にあった感覚や雰囲気も年月が経つごとに段々薄らいで、やはり施設化してしまうのかな、というところもあるんですけれども、あかつきの村にいらっしゃる方をまず見たときに、施設には入れられない方や、受け皿や居場所が社会のどこを探してもないから、そういう方たちがいられるために、何が必要なのかを考えていった場合に、例えば僕もさっきお話したようにあかつきの村に来たとき、とにかくびっくりしました。よくこれで今までやってこられたなと思うようなこともあったぐらいで、とにかくもうびっくりすることのほうが多かったわけです。

僕も精神保健福祉士という形で仕事をしていて、全然カトリックの信徒ではないんです。だからカトリックの考え方やいろんなことが正直全然分からない。それで、自分の価値観で判断してしまったら、これは必要なことなのかなとか、大事にしなきゃいけないのかなと分からないことがあって、ただあかつきの村で仕事をしていくなかで、まず自分は入ったばかりの身でもあったし、年齢的にも今でも一番若いくらいなんですけれど、人生の先輩にあたる方たちなので、いろいろなことにお伺いを立てていかないと分からないってこともあったり。とにかく自分で判断しないで何でも聞いて、それを咀嚼して統合していく感覚でやっていこうと、やってきただけなんです。

自分で価値を付けて、切り捨てたりやめたりを一切やらずに、とにかくそれを今までやってきた人と一緒にやることにしてきたんです。それを一緒にやっていくと、なぜこれをやっているのかという意味合いを理解できたり、大事だった理由も分かって、でもそれが1回やったから分かるってものでもなくて、やっぱり3年ぐらいやってみて、自分のなかでようやく価値を見いだせたりという部分もありました。自分のなかでも統合作業というようなことを進めてきての、今があるのかなというところです。

石原:ありがとうございました。時間になりましたが、最後に猪股さん、斜め後ろの視点からこのプロジェクトをどう感じられていたのか、あらためて一言お願いいたします。

猪股:全体をまとめるのは僕の役目じゃない気がしてしまうので、いまの櫻井さんのお話について反応させてください。今のお話を聞いて思いますが、判断を中止して、とにかく聞こうって、できそうでできないことだと思うんです。誰かと話したら、たいていはすぐに理解しよう、共感しようと思うし、そうすると判断するんですよ。「これはいい」とか「これはよくない」とか。でも判断を中止したまま人と話を続けるのは本当に難しいと思うんです。

冒頭で櫻井さんが、この施設に来て流れが分かんないのが2年間あったとおっしゃっていましたが、そこに居続けるって、僕から考えるとちょっと恐ろしい。僕もいろんなところに行って仕事させてもらうことがありますが、だいたい1年経つと何とか流れが分かるんです。こういう時期にこういうことが起きるんだな、この人はこういう行動をしてくれているんだな、とか。でも2年間、流れが分からないまま続けるって、つまり判断を中止して、かつ人と関わり続けるというのは、僕はびっくりだな、と思うんですよね。

でも、それがあかつきの村が持っていた土台のようなものなんだろうとも思うし、さっき映像を櫻井さんと一緒に見ながら、櫻井さんが2007年に入職してから一度だけやめようと思ったことがあるとおっしゃっていて。櫻井さんを前に僕が説明するのも変ですけれど、やめようと思って上司とか施設の方に辞表を提出されたんですよね。提出されたら「櫻井くんがやめるなら、あかつきの村も来年の3月で終わりだね」といわれたって。びっくりしますよね(笑)。

たとえば僕だったら「そうか、確かに僕の責任でつぶすのはいやだけど、誰か連れてくればいいか」とか自分が逃げる算段を立て始めちゃいそうな気がします。でも櫻井さんは、僕がやめたらこの施設をつぶすっていうのかと、本当に腹がたったっていわれました。腹がたって、怒りで続けられたって。すごい、と思うんです。その怒りみたいなものってなんだろうな。とっても人間らしいし、さっき展示を一緒に見ながら、キリスト教徒ではないけれど、あかつきの村にいると神のようなものを感じざるを得ない体験をするというお話もされていて、そうなんだと思うんですよ。でも櫻井さんはカトリックの洗礼を受けるわけではない。ここが高山さんのいわれた、石川神父が亡くなられた後に、カトリックの信者さんたちの施設というものから、もう一つオープンになっていったとても大きいポイントではないでしょうか。櫻井さんがやめようとしたときの、なんともひどいいわれ方。でもそこで感じた怒りみたいなもの、その怒りがどこかで穴を開けてくれた感じ。かつ、それが宗教ともつながっていて、人びとともつながっていくって、「こんなことあるんだなあ」って。でも僕は解説したかったんじゃなくて感動したことを伝えたかっただけなんです、すみません。

石原:ではまたパネルディスカッションで積み残した問題があれば議論したいと思います。どうもありがとうございました。

PORT B《前橋聖務日課》、「表現の森」展でのインスタレーションビュー、2016年 PHOTO: KIGURE Shinya

PORT B《前橋聖務日課》、「表現の森」展でのインスタレーションビュー、2016年
PHOTO: KIGURE Shinya

 

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(構成・投稿=佐藤恵美)

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