【石坂・山賀×えいめい】「音」から介護の”ごきげん”な連鎖が生まれゆく(文=藤岡聡子/福祉環境設計士|株式会社ReDo代表)


「なぜ老人ホームには”老人しか”いないのだろう?」こんな問いを持ってきた

文=藤岡聡子[ふじおか・さとこ/福祉環境設計士|株式会社ReDo代表]

 

2010年に東大阪市で50人規模の住宅型有料老人ホームを友人と創業し、営業、広報、新卒採用、地域との接続のフロントラインに立ち、老人ホームを「ハコモノ」にしない、入居者の存在が地域と応答するような環境づくりを目指した。幼少期より慣れ親しんだ、演劇や歌、絵画の経験を元に、何か文化的な取り組みが老人ホームと地域の接続点にならないかと、2011年2月、奈良・たんぽぽの家 「臨床するアート 奈良セッション」に参加。同年、京都造形芸術大学・こども芸術大学にて現場参加、こども芸術学科にて学生と意見を交換し始め、多世代・アートを介護現場に活かす取り組みとして、同大学卒業生・学生らと単発のワークショップを開催したこともあった。ただ、苦戦したのは、介護現場にいる職員との意思疎通だった。介護現場にはアートは要らない。そう、突きつけられた時もあった。今振り返ってみても苦い思い出だ。

時は巡り2018年の6月頃、先に出た大学卒業生であり、私の幼馴染が出展した中之条ビエンナーレの会場で出会った岡安賢一さんが撮影した、アーツ前橋「表現の森・音の玉手箱」の特別養護老人ホームえいめいの映像を観る機会を得たのだ。久々の高揚感だった。「人間の心拍は3拍子。それでいくといいみたい。今日はリズムを使って、スイッチをいれることを心がけた。一度入ったスイッチは、切れない。」この石坂亥士さんの言葉に胸揺さぶられた。高齢者の音に対する、小さな反応をこうも丁寧に受け取り表現する姿勢。これだ。この現場を一度見せていただくことはできないか。岡安さんに連絡を入れた。

2018年10月、都内より車でえいめいへ向かう。今回は時間の関係で、3人の我が子を連れて行かねばならず、色々と気を揉む点も多かった。何より、介護現場にいる職員たちの様子はどんなものか、先に挙げた思い出を振り返り色々と考えていた。
えいめいに到着し、「表現の森・音の玉手箱」チームの打ち合わせの部屋へ。子どもらは早速石坂さんの持参した楽器に触れ始める。音が少しずつ、勝手に緊張していた私の心拍を落ち着かせてくれた。山賀さんと早速打ち解ける子どもたち。会場となる部屋へ向かう。子どもらは楽器を持ち楽しそうにかけてゆく。その後ろ姿を追う。(さて。どんな光景になるのか。)

会場の入り口で、職員と、「表現の森・音の玉手箱」チームが少し話をしていた。ああ、はい、はい、といった職員の様子。(介護職員は、この取り組みにどうやって入ってくるんだろう。)ここでも勝手に気を揉む自分がいる。子どもたちの存在が珍しいのだろう、高齢者の目線が集まる。まずは手前から、目があった車椅子の女性から、話をし始めることにした。なんてことのない会話だ。でも、音が鳴り、踊りを舞う人がいる中での会話ということで、私も、きっと彼女も、心拍が上がっていた。少しだけ普段よりも声を張り、頭と手を動かし、幼子に触れようとする彼女。

この場限りの刹那的感覚が押し寄せる。ある男性が向ける眼差しも、机につっぷしていた女性の口角も、よだれを拭くよりも楽器に夢中の男性の手つきも。いつの間にか石坂さんや「表現の森・音の玉手箱」チームの奏でる音がBGMとして耳に入ってきていた。目の前の方たちとの会話や仕草、目線の交換が続いていく。(ああなんだか、フロー状態だ。音がそうさせてるのかも。ときどきざくろさんの踊っている様子もみえる。どれくらい時間がたったんだろう。くらくらしてきた。なんて美しい光景なんだろう。)気付いたらすっかり汗をかいていた。

終盤、介護職員と山賀ざくろさんたちが、楽器をもって練り歩く姿があった。介護職員が照れながらも笑いあいながら。その光景を、高齢者たちが面白そうに見る。手をたたく。笑顔が増えてゆく。(ああ、共鳴したんだな。私が足らなかったのはこれだったんだな。)ふとこんなことを思った。会が終わり、少しだけ「表現の森・音の玉手箱」チームの振り返りに参加させて頂いた。内容がどうあればよいのか。そもそもこの状況において、「よい」とは何だろうか。介護職員がどれだけ理解し協力してくれるのか。正解のない試みに対してみなで向き合っているプロセスを体感させていただくことが出来た。

その一ヶ月後、「文化芸術による社会包摂は可能か?」のシンポジウムにも出席させていただいた。やはり、介護現場にいる職員と文化芸術の接続点こそが必要だ、と個人的な結論を導き出せたと同時に、2011年当時の自分への反省と、だからこそ出来る仕組みづくりについて大いに考えを膨らませている今だ。

結びに、2018年11月に英国のケア現場で感じたことをお話ししようと思う。オペラハウス劇場のスタジオで、ダンスワークショップ。ギャラリーを会場にして、モデルを描くデッサンワークショップなど、文化芸術をアプローチとした介護現場での実践事例をみてきた。もちろん個人差はあれど、要介護状態の人がとても”ごきげん”に過ごしていることに衝撃を受けた。なぜか。要因はいくつも考えられるのだが、特に日本と比較して違う点として、周りの人がとても”ごきげん”に過ごしているからなのでは、と考えている。先に挙げたワークショップは、要介護者のみではなく、その家族やケアスタッフ(訪問介護の時間として付き添っている介護者も含めて)、要介護者よりも、まずその家族やケアスタッフがしっかり楽しんでいるのだ。そうするとその様子に安心して、要介護者の表情がゆるんでいく。そんなよい連鎖が生まれている現場が、確かにある。

老い、介護についてのタブー視がまだまだ強い。しかし、介護の未来は、私たちの未来でもある。”ごきげん”な連鎖が、この「表現の森・音の玉手箱プロジェクト」をきっかけに、えいめいでも緩やかに実現されることを願う。

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