【関連シンポジウム:記録】トークセッション⑤「マイノリティとは誰か?美術館の抱える希望と課題」


※展覧会「表現の森 協働としてのアート」(2016/7/22-9/25)の関連企画として開催したシンポジウム(2016/8/27, 28)の内容をお届けします。
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前橋市内の母子生活支援施設「のぞみの家」にて、「タイムカプセルプロジェクト」を行っている廣瀬智央氏(ミラノ在住)と、後藤朋美氏(前橋市在住)。今回は、その両氏に加えて「のぞみの家」少年指導員の町田和行氏をスピーカーに、金沢湯涌創作の森 所長の黒沢伸氏をゲストに迎える。本シンポジウム全体を通しモデレータに迎えた石原孝二氏とともに議論を進めた。

◎日時:2016年8月28日(日)14:45-15:45

◎スピーカー=
廣瀬智央(アーティスト)*スカイプにて参加
後藤朋美(アーティスト)
町田和行(社会福祉法人 上毛愛隣社 のぞみの家 少年指導員)

◎ゲスト=
黒沢伸(金沢湯涌創作の森 所長)

◎モデレータ=
石原孝二(東京大学大学院総合文化研究科准教授)

◎進行=
今井朋(アーツ前橋 学芸員)

廣瀬智央・後藤朋美×のぞみの家、「表現の森」展、2016年
Photo : KIGURE Shinya

 

アーツ前橋の開館前から続くプロジェクトをベースに

今井:このトークセッションでは、アーティストの廣瀬智央さん、後藤朋美さんと一緒に、前橋市内の母子生活支援施設「のぞみの家」で行ったプロジェクトについて、お話を進めていきたいと思います。お二方とのぞみの家、そしてアーツ前橋は、開館前から「空のプロジェクト」を通じて一緒にプロジェクトを行っています。「空のプロジェクト」は、子どもたちが撮った空の写真と廣瀬さんが撮った空の写真をもとにした、交換日記形式のプロジェクトです。そこでできた作品は、アーツ前橋のコミッションワークとして屋上看板と館内のモニターで見ることができます。それではまず廣瀬さんと後藤さんから、今回のプロジェクトについて簡単にお話しいただけますか。

廣瀬智央《空のプロジェクト: 遠い空、近い空》2013年

廣瀬智央氏
Photo: KIGURE Shinya

廣瀬:「表現の森」の展覧会では、二つのプロジェクトを紹介しています。一つ目は今井さんが紹介された「空のプロジェクト」。これは3年前に看板制作を行うにあたって始めたプロジェクトで、約6カ月間かけて行いました。今回の展覧会のテーマ「協働としてのアート」にも沿うようなプロジェクトだったので、作品ができ上がるまでのプロセスを展示しています。

二つ目は、「タイムカプセルプロジェクト」です。この展覧会で新しく立ち上げたプロジェクトで、こちらも時間をかけて行いました。母子生活支援施設「のぞみの家」の方々と、僕が住んでいるイタリア・ミラノとの間で手紙の交換をしながら進めていきました。「タイムカプセル」のなかに詰めるものをつくっていくワークショップを行っています。そしてこの展覧会の終了と同時にタイムカプセルを封印します。ただし今回は、封印後もプログラムを19年間継続的に続けていく計画で初めています。その辺りはまた後ほど話させていただきます。それでは後藤さんからお願いいたします。

後藤朋美氏
Photo: KIGURE Shinya

後藤:「空のプロジェクト」と「タイムカプセルプロジェクト」で、のぞみの家の子どもたちやお母さんたちと一緒にワークショップを行っています。「空のプロジェクト」では、皆で撮った写真と廣瀬さんの写真で、イタリアと前橋の間で空の交換日記を行いました。「タイムカプセルプロジェクト」では、「五感」をテーマにしたワークショプを行いカプセルに保存するものをつくっています。

今井:今回はのぞみの家から、指導員の町田和行さんをゲストにお迎えしております。2つのプロジェクトに関して私たちもとてもお世話になりました。施設側で関わられたご経験からご意見・ご感想等ありましたらお聞かせください。

町田:のぞみの家で少年指導員をしています。今回「タイムカプセルプロジェクト」が19年継続すると聞き、最初は「どうなるのだろう」ととても危惧しておりました。というのは、社会福祉施設はある意味閉鎖された社会です。外からのものにはすごく警戒をするところで、母子生活支援施設は特にその傾向が強いのです。

ですが3年前に「空のプロジェクト」で廣瀬さんと後藤さんとはもう馴染みになっていまして、その2人から話が来たのなら乗ってみようか、ということで始めました。そこで、まず内容をお聞きし、お母さんと廣瀬さんとの文通が始まり、それから、「知覚」「味覚」「聴覚」といったものをタイムカプセルに入れるという話だったので、どんなものができるのかなと、この半年間楽しみに見てきました。

例えば「視覚」では、お母さんたちと子どもたちが花を見に行き、それぞれが見て感じたものを自由に撮影する姿が見られました。「味覚」のワークショップでは、廣瀬さんの住むイタリアと群馬の「味覚」ということで、後藤さん、廣瀬さんと一緒に施設で立食パーティーを開きました。実は立食パーティーなんてそれまではあり得ない話でした。希望者のみということでお誘いしましたが、実際は全員が参加しました。同じ施設にいても普段は交流がないお母さん同士がコミュニケーションをとって、仲良くなることができました。

町田和行氏
Photo: KIGURE Shinya

「19年後」というのもとても面白い話だと思います。お母さんたちは自分の子どもが19年後にどうなっているのか、おそらく普段は想像できないでしょう。ところが今回のプロジェクトで「いまは6歳の子が25歳になる」と考えたとき、お母さんにしてみると本当にいまを大切にしなければいけない、という意識が生まれてくるのです。そんなことで親子の絆が深まっていきます。普段からお母さんたちの自立に向けて支援をしている職員たちも、こういうことでお母さんたちが生き生きと笑顔になれることを知って、意識改革が生まれてきました。それも施設側から見ると大きな効果だったように思います。

廣瀬智央・後藤朋美×のぞみの家「第1回タイムカプセルプロジェクト『思い出の写真』」

 

信頼関係と双方向のコミュニケーション

今井:この廣瀬さんと後藤さんのプロジェクトに関しては、私たち自身もさまざまな課題に直面するなかで、廣瀬さんから核を突いた課題やテーマを提示していただきながら進めてきた印象があります。また近隣に住む後藤さんはプロジェクトが動いていない間も非常に足しげくのぞみの家に通ってくださいました。アーツ前橋の開館前から関係性を絶やさずに信頼関係を築いているのが重要な点です。いま町田さんからいただいた指摘は、後藤さんや廣瀬さんとの信頼関係のうえで出てきた要素なのかな、と私は強く感じています。ところで昨日と今日のシンポジウムの中で、このトークセッションだけ、飛躍したような大きなテーマを持っています。「マイノリティとは誰か? 美術館の抱える希望と課題」。最後のセッションですので、これまでの流れも含めてのお話になるのかなと思います。石原先生にお話を伺う前に、廣瀬さんからこういったテーマのなかで考えられてきたことをお話しいただけたら、と思いますがいかがでしょう。

廣瀬:今回のプロジェクトのベースには「ワークショップ」という形式があります。これは、いわゆるアーティストが展覧会で表現するのとは別で、ある特定のグループと一緒にかたちにしていく、というものです。実は、私はワークショップという形式自体にはネガティブな印象を持っていて、以前は絶対に関わらないでおこうと考えていました。というのも、ほかのアーティストたちが関わっているワークショップを見ると、アーティスト側のエゴに終わってしまうような、一方通行的なあり方が多かったからです。

そんななか血液のがんを治療している子どもたちと、初めてワークショップをやることになってしまいました。そこで考えたのは、一方的や一時的に終わるのではないあり方です。僕が不満に思っていたものを見つけ出し、何が問題なのかを探すところから始めました。それにはやはり一緒にワークショップをしていく方とのコミュニケーションや心のつながりをもう少し深くしていかないと、お互いにいいものが生まれてこないのではないか、という思いがありました。

例えば、アーティストが参加者と協働で作品をつくるような展覧会もありますが、そこに参加した人からは、「私たちは単にアーティストの駒になってしまったんじゃないか」「参加したけれど何も見返りがなかった」「何も発見がなかった」といった声もあったのです。それはアーティスト側からするとあまり良いことではないうえ、一つのプロジェクトとして僕が求めているものとは違うという思いがありました。そこをどう解決していくかということで出てきたのが、時間をかけて熟成していく手法です。これは従来あまりやりませんし、確かに半年~1年、というスパンではすごく労力が掛かります。そういうことが単に敬遠されたのかは分かりませんが、従来は3日から1週間ほどで終わるものが多かったようです。

こうして「空のプロジェクト』や「タイムカプセルプロジェクト」に至りますが、両プロジェクトともコミュニケーションとしては双方向という言い方ができるかもしれません。与えるだけでなく与え合う。お互いに発見する。そのなかで可能性は何かと見つけていくような方向性を模索しました。館長の住友さん、学芸員の今井さんや小田さん、アーティストの後藤さんと一緒に考えながら、いままでにないようなかたちのものをつくっていこう、と進めています。こうして可能性を探りながら常に行動している現状です。マイノリティの方々とやっていく必然性について解答はまだ出ていませんが、それを考えるのはとても大事なことだと思っています。

それから、僕たちの場合は舞台が母子生活支援施設ですが特別視せずに進めるのがベストだと考えています。一人のアーティストとして、会った一人の他者として対話を進めていけることが大事なのではないでしょうか。子どもたちと接しながらそう感じました。

今井:後藤さんから補足などがありましたらお願いいたします。

後藤:ワークショップでは「五感」をテーマにしていますが、参加される方の中にある、もともとの力みたいなものを信じていてそこで何が起こるかを一番楽しみにしています。例えば、「今日は、『視覚』のワークショップをします」と、公園へ写真を撮りに行きました。当初、「視覚」のワークショップは1回で終わる予定でした。でもそのなかから好きな写真を選んで廣瀬さんに送ってみよう、それをもとに「『のぞみの家』で展覧会を開こう」というように、そのときの流れやアイデアや参加される方の意見を反映しながらどんどん変容させていきました。

またプロジェクト以外の場でも、一人の人間として会うことを大切にしました。施設の行事に参加させてもらったり、町田さんやお母さんたちとお話をしたり、子どもたちとは、サッカーをしたり。単純によく遊びに行き、のぞみの家の皆さんと一緒に過ごす時間を増やしました。

廣瀬智央・後藤朋美×のぞみの家廣瀬智央・後藤朋美×のぞみの家「第5回タイムカプセルプロジェクト『食べること』」

 

19年後の未来を想像する時間

今井:それでは石原先生から、今回のこのプロジェクトについてご意見などありましたらお願いします。

石原孝二氏
Photo: KIGURE Shinya

石原:このセッションのテーマのキーワードとして、「マイノリティ」「施設」「時間軸」があげられます。特にこのプロジェクトでは、19年という途方もない時間軸で考えていらっしゃることが非常に印象的でした。

障害福祉に関して「立ち去ることができるのか」という言葉があります。これは障害のある当事者、あるいはその家族がよく直面する問題だと思います。アート、哲学などジャンルを問わず研究者をはじめとする専門家などが時々来て何かやって去っていく、ということがよくあります。さらに当事者やその家族は、支援者に対してすらそうした思いを持つケースが結構あるのです。実は僕自身も当事者の家族としてそう思うことがあります。支援者は、いざとなれば立ち去ってしまうことができる人たち、と当事者や家族は見ている場合が結構あるのではないかと思います。先ほど廣瀬さんは3日間で終わるワークショップもあると話されていましたが、それに比べて19年というプロジェクトは壮大です。

実際にこのプロジェクトに参加している人たちがどういう思いかは分かりませんが、もしかしたら19年という長い時間の付き合いを約束してくれたことに関しては、とても「思い」があるのではないかと思いました。そういう意味で、このプロジェクトはすごいプロジェクトだという気がします。先ほど施設が閉鎖的だとおっしゃっていましたけれども、人と長く付き合うことがなかなかできにくい環境にあったと思います。そういうなかで、子どもが全員成人するまで、という19年という時間軸を持ったプロジェクトに関して参加者の方々は何かおっしゃっていますか。

町田:のぞみの家の場合は、平均2〜3年で施設から退所します。退所とは自立をしていくということです。19年後を考えると、6歳の子が25歳になる、私なんかは、今59歳ですから生きているかどうかも分からない状況です。そういう時間的な感覚に魅力を感じているかもしれません。

石原:もう一つ言おうとして忘れていたポイントは、今おっしゃってくださったことだと思います。参加者にとって、未来の時間の見通しができてくることがすごく面白いなと思います。昨日のオープンダイアローグの話とも関係があるアプローチですね。アンティシペーション・ダイアローグという、予期型ダイアローグというものがあります。それはある未来の、ある時点で、自分たちはこうなっていたいというのを想定し、そこから立ち返って現在を捉え直すというアプローチですがそれと少し似ているところがあるかなと思いました。

後藤:私も、同じようなことを考えたことがありました。「聴覚」のワークショップのときに、19年後どこにいますか、どんなことをしていますか、と子どもたちとお母さんにインタビューしたのです。子どもは「土星で砂遊びをしてる」「北極で水を飲んでる」とか。「何で?」と聞いたら、「水が飲みたいから」「火星には砂がいっぱいあるから」。お母さんは「ロンドンに行ってぶらぶらしている、何となくそう思うの」と。そうやって19年後の自分を想像しているときの顔が、とても明るくて楽しそうだったのです。カプセルに入れるものをつくっているなかで、まさにその「今」を保存している感覚と、同時に未来から見てかけがえのない「過去」、つまり「今」という「過去」をみんなでつくっている感覚があります。みんなと一緒に過ごしたり、一緒にいたりするなかでそんなことを考えています。

プロジェクトはこの後、10月に「保存」を行います。その後どのようにコンタクトを取り続けるかも、皆で相談していこうと考えています。19年の間に引っ越される方もいらっしゃるでしょう。どうやって関係性を紡いでいくかが課題である反面、そこにある可能性を考えることが、このプロジェクトの大切な部分でもあるのかなと思います。そうすると、いま私たちがこの関係性をわかったつもりにならないほうがいい。わかったつもりにならないことが大切なのではないだろうかと思っています。どんどん変化していくことが重要なのではないでしょうか。

例えばお母さん方にとってもそれぞれで「プロジェクトへの参加」の感覚は違うと思います。初めて私たちと出会ったときから「参加している」という意識を持たれた方もいれば、数回のワークショップを経てそう思った方もいるかもしれません。また、先日「表現の森」展にのぞみの家の子どもたちやお母さんが見に来てくれたのですが、1回目のワークショップに参加されたお母さんがその場で初めて自分の思いを話し始められました。そのときまさに初めて「参加」の感覚を持たれたのだということが伝わってきました。長い時間をかけることで得られる可能性が非常にあると思ったのです。

私たちがアーティストとして風のようにばーっと施設にやって来ますが、職員の町田さんは毎日みなさんと一緒にいます。メンバーが入れ替わっても19年よりもずっと長くこれからものぞみの家にいらっしゃるかもしれない。私たちがお母さんや子どもたちと紡いでいく信頼関係を考えると同時に、町田さんたち職員のみなさんが持つ、お母さんや子どもたちとの信頼関係のなかに、私たちが存在していることも考えながらやっています。町田さんやお母さんたちには毎回何でも相談し、特にお母さんたちからは素直な反応を頂きながら進めています。

 

新世代の美術館として

今井:ゲストの黒沢さんからもお話しいただきたいと思います。黒沢さんには、アーツ前橋が開館する前、「アートスクール」というプログラムの講師としていらしていただいていました。「空のプロジェクト」がまさに進行していた時期にアーツ前橋もご覧いただいています。そのときから今までのアーツ前橋の変化と、このプロジェクトに関してのお考えをいただけたらと思います。黒沢さんは水戸芸術館と金沢21世紀美術館で学芸員をされ、現在は金沢湯涌制作の森の所長をされております。

黒沢伸氏
Photo: KIGURE Shinya

黒沢:アーツ前橋のこの建物が改修される前、デパートだった頃から関わらせてもらっていますが、先ほどアーツ前橋が始まってまだ3年ということに改めてびっくりしました。5年くらい経ったかと思っていたもので。19年後のタイムカプセルのプロジェクトは「表現の森」がきっかけですが「空のプロジェクト」は足かけ4年目ということですね。「空のプロジェクト」で蓄積された信頼関係やいろいろな経験があり、ようやく4年目にして今回の展覧会をきっかけに次のアクションをスタートしたということだと思います。ちょうどアーツ前橋の年齢と同じようなプロジェクトですね。

「まだ3年」というのが正直なところです。私自身、金沢21世紀美術館ではいわばお腹のなかに赤ちゃんがいるような数年前の準備の頃から関わって、水戸芸術館ではちょうど生まれそうな、つまりオープンの前年から関わっていました。こうして2つの美術館の歩みに関わった経験としては、美術館は人の成長によく似ていると感じています。1年目は、赤ちゃんでいうと0歳から1歳児。その時点で見た目は建物もできていて、十分に身体の構造もできているように見えます。でも、やはりまだまだ産声を上げたばかりの赤ん坊です。そうして幼児期を過ごし、6年経ってようやく小学校にあがる。小学校1年生の頃には、実は人間も相当成長していてほとんど大人に近い。そうやって考えるとアーツ前橋の3歳という年齢は、泣いたり、ハイハイしたり、飛んだり、笑ったり、あれやこれやを食べたり、という真っ最中。この展覧会もプロジェクトがいくつか同時に立ち上がることも含め、毎日一生懸命に赤ちゃんが生きている状況だと思うのです。

アーツ前橋が生まれる前の、構想段階のイメージといまを比べると、違う点は特に見当たりません。では全く構想のとおりかというと決してそういうわけでもない。とはいえ構想のなかに、色々なところと「つながっていく」という部分はあったのです。「つながっていく」というのは、美術館が主導して色々な組織をつなげていくというイメージではなく、「ハブ」という言葉がよく使われますが、要は「触媒」です。美術館が触媒になって企業と行政、個人と団体、商店と企業、個人と個人、というようなつながりを生み出すだろう、と。街のなかにうごめく有機的な触媒をイメージしていました。

そのイメージで3年目と考えると、いままでのプロジェクトや展覧会も含め、まさに、そうした過渡期なのではないでしょうか。確かに、未来のことが具体的にありありと見えるかというとそうではないかもしれないけれど、それは成長の途上にあるからです。たとえばこのプロジェクトを成立させている最大の要件は信頼関係ですね。これがなかったら何にも起こらないでしょうが、そのベースがきちんとしてさえすれば、タイムカプセルのなかに入るものがどのようなものになろうが、やっぱりいいプロジェクトだとしかいいようがないのです。

信頼関係やそれを培ってきたこれまでの3年間という時間があったうえで、このプロジェクトが動いている。それは映し鏡のようにアーツ前橋の活動として、僕自身には重なって見えます。

今井:この「タイムカプセルプロジェクト」は「空のプロジェクト」から考えると、アーツ前橋と同じ3歳という子どもの年齢になりますね。そう考えると、今回の「表現の森」のために立ち上がったほかの4つのプロジェクトは、まだ6カ月くらいの赤ちゃん。「タイムカプセルプロジェクト」はほかの4つのプロジェクトより少し成長しているのかなと思います。だからこそ「タイムカプセルプロジェクト」は「時間をかける」という点で、ほかのプロジェクトにとっての一つの答えが提示されている気がします。

廣瀬:「時間」と「信頼関係」というキーワードが出ましたが、それは、アーツ前橋のコンセプトにある「創造的であること」「みんなで共有すること」「対話的であること」という3つのキーワード(→アーツ前橋ウェブサイト参照)を、確実に具現化していると思います。「空のプロジェクト」を始めるとき、単に僕の撮った空を作品として展示するだけではつまらないので、美術館の3つのコンセプトを反映しよう、といった経緯があります。作品として「見えない部分」が非常に大事なのではないか、と。

そのうえで、この美術館の面白いところは継続していくことだと思うのです。世界中にはたくさんの美術館がありますが、展示やプロジェクトも一時的に終わってしまうことがほとんど。ところがアーツ前橋は違います。これは21世紀型というか、とても個性のある美術館だと思います。基本的に作品の収集・保存を行う美術館は“墓場”といわれたりしますが、現在進行形で地域との関わりで成り立つ美術館は増えつつあります。日本のハコモノ行政的な、要はソフトやコンセプトもなく建物だけを建て、何かを借りてきて展示するといったものから新たな世代へと変わりつつある。アーツ前橋はその新世代ともいえる美術館であり、非常に期待できる部分です。「こういう美術館もあっていいのではないか」というのを実際に具現化し、日本で挑戦している。僕は客観的に見てそう思います。

「タイムカプセルプロジェクト」はプロジェクトが先にあったわけではなく、時間をかけて信頼関係を築くにはどうしたらいいか、ということで出てきたプロジェクトです。実際にタイムカプセルというモチーフ自体は珍しいものではありません。たとえば小学生や中学生のとき、思い出の品をタイムカプセルに入れて土に埋めた経験をされた方もいると思います。では我々がアートプロジェクトとして行う「タイムカプセルプロジェクト」は、それと何が違うのか。ここが非常に重要な点です。普通のタイムカプセルは、埋めてから掘り起こすまでは何もしません。でもこのプロジェクトは、信頼関係を構築し、それを継続していくことを大事にしたいと思っています。継続のためには、離れ離れになってしまった人とのインターネットや手紙を通じたつながりも必要ですし、実際に会って話をするのも大切にしていきたいと考えています。これまで誰も取り組んでいないことだと思うので、これからどうなるか分かりません。ただそれがアートの可能性だということを強調しておこう、と思っています。

それからタイムカプセルである理由には、母子生活支援施設ですので、お母さんと子どもが一緒に過ごした時間を振り返る可能性を残しておきたいということがあります。それは、参加者の興味があるなしとは別です。全く関心がない人、そんなものはいらないという人もいるでしょうが、みんなで考える可能性を残すことがポイントだと思いながらプロジェクトを進めています。

今回のプロジェクトは一言でいえば、時間をかけることによって信頼関係を築くという手法、それを実験していくことで生まれる可能性を、19年間かけて見つけていくということです。黒沢さんもおっしゃっていたように、いまは美術館とその新しいあり方や関係性についてプレゼンテーションできればいいなという段階です。

それからもう一つ大事なこととして「PC(ポリティカル・コレクトネス)」、つまり政治的には正しいことをしているということから、鑑賞者が批評できない状況になりがちです。アートプロジェクトである以上、僕は常に批評空間を構築していかなければいけない、と考えています。福祉施設と関わっていることでは正しいわけです。でも、一見正しいことをやっていると「何もいってはいけない」といった空気が1980年代に生まれたことがありました。そうではなく、これをやって何が良いのか、何が悪いのか、そこに何を見出すことができるのか、どのような可能性があるのかを、もう一度対話していくことが必要だと考えています

それで、我々が考えていることやこれまでの活動の資料を全て公開することにしました。今後時間はかかると思いますが、これはただの偽善なのか、本当に良いことなのか、そしてそれが何なのかを、もう一度みんなで考えるような場をつくりたいのです。

それをやらないと、いま流行りのアール・ブリュットのような、行政主導で、予算が出るから展覧会をつくりましたという一時的に終わってしまうかたちと同じものになってしまうと思います。我々がなぜこれをやるのかを明確にしつつ、何が問題で何が不足しているのかを、継続的に考えていくようにしたいと思っています。

アーツ前橋は非常に特異な場所で、困難に思われがちな19年がかりのプランも、ここだからこそ可能にしてくれているのかな、と僕は感じています。

廣瀬智央・後藤朋美×のぞみの家、「表現の森」展、2016年
Photo : KIGURE Shinya

 

プロジェクトを公にすること、プライバシーを守ること

今井:いまの廣瀬さんのご発言のなかにいくつかポイントがあるように思いました。これは私たちがプロジェクトをやってきたなかで考え続けてきたことですが、PC的、つまり福祉の分野と私たち公立美術館がタッグを組んでプロジェクトをしたときに、そこには全く批評的な空間が生まれず、政治的に正しければよいという空間になってしまうこと。その場合、どのようにこのプロジェクトを評価し批評していけるのかが、きっとほかのプロジェクトにも共通する大きなテーマの一つだと思います。

そこにつなげる意味で、プロセスをオープンにしていくことを大きな課題にしています。今回の「表現の森」の展示でも母子生活支援施設に住む方たちと私たちがやっていることをオープンにしていますが、母子生活支援施設は特にプライバシーに気をつけなければならない施設です。オープンにするとどんな人たちが住んでいるかが明らかになってしまう。匿名性を保つこと、顔写真を公開しないことなどに十分配慮する必要がありました。

情報を開示することと、プライバシーを守ること。この二つの対立する項目が、おそらくこのプロジェクトのかなり大きな課題だと感じています。その辺りについて、町田さんにぜひ施設の側からご意見をいただけますでしょうか。

町田:非常に申し上げづらい部分もありますが、私たちの施設としては入所者を守らなければいけない、というのが大前提です。みなさんさまざまな事情で入所しています。ここに住んでいることを知られたら危険で、偽名で生活している人もいます。「今回のプロジェクトの方向性はすごく素晴らしいですし、協力したい。でも私の顔は出さないで」という人がいる状況です。

今井:たとえば、先日発生した相模原障害者施設殺傷事件では、亡くなった障害者のお名前が公表されなかったことでいろいろな議論がありました。そうした福祉の現場におけるプライバシー確保の問題が大きく取り上げられることがあります。こうした状況について石原先生からご意見いただけますか。

石原:非常に難しい問題ですが、相模原の事件が匿名報道であると知ったとき、私はやや怒りを覚えました。殺されてすら名前も出せないのか、匿名のまま死んでいくのかと思ったのです。ただその後、実際に危険を感じている遺族の声が報道されていました。特に大きな事件だとマスコミの暴力はすさまじいので、生活が成り立たなくなる危険性を感じることもあるのだと思います。それだけではなく、子どもを施設に預けていることを周囲に公表していない人もなかにはいらっしゃるかもしれません。そもそも情報がないため議論が難しい側面はあります。

昨日のシンポジウムのなかで、高齢者の施設でプロジェクトをしたチームから利用者の方の名前を教えてもらえる場合とそうではない場合があるという話が出ていました(→トークセッション①)。障害者の施設や、認知症のデイケアなど場合、基本的に名前を隠す必要はないと思います。ただしケースバイケースで、隠さざるを得ない状況も実際にあるのだと思うのです。

私が研究している北海道にある「べてるの家」の活動のなかで非常に大きかったのは、名前を出して公の場に出ていることです。いまでは精神障害のある人たちがテレビなどに実名で出ることが珍しくはなくなってきましたが、十数年前はほとんどなかったように思います。マスコミなどの媒体側で、自主規制というか名前を出さないようにしてきたのだと思うのです。それを大きく変えていったのが「べてるの家」の人たち。名前を出してはいけないといったタブーを実践的に破っていきました。一般的には匿名にする必要はないと思いますが、ケースごとに考えていかないといけないのかなという気はします。

廣瀬智央・後藤朋美×のぞみの家、「表現の森」展、2016年
Photo : KIGURE Shinya

なぜプロジェクトを「知らせる」必要があるのか

今井:「のぞみの家」の場合は、お母さんたちの身の危険を踏まえ、匿名性を保ちながらプロジェクトを行っています。そう考えたときに今回の「表現の森」のような企画展というかたちで、なぜ私たちはあえてこうしたプロジェクトとそのプロセスを公に開示していくのか、という問題が出てきます。もともと学芸員のご経験もある黒沢さんからご意見をいただきたいなと思います。

黒沢:今回のプロジェクトが社会的にその存在を知られず、施設の内側だけで行われたとき、それはどうでしょうか。誰の目にも見えないところで素晴らしいことが起こっているといえるのかもしれません。ですが、その活動や存在の片鱗だけでも知られる状況とは全然違うでしょう。ただしどちらが良い・悪いというのはないと思います。隠さなくてはいけない以上、隠れてでもプロジェクトを行ったほうがいいかもしれません。それで、現場の人たちが少しでも幸せでいられたり、何か新しいことに挑戦できたりすることが起こるかもしれないからです。周辺のごくわずかな人たちだけが知っているプロジェクトもすでにあると思います。

一方で今回のプロジェクト自体はアーツ前橋の呼びかけがなければまずスタートしていなかったのではないでしょうか。「表現の森」にはいくつかの施設や色々な立場の人たちが関わっていて、そうした存在を伝える術はアート以外にもあったのかもしれませんが、これまであまり伝わっていなかった。日常、普通には起こらないことを起こす機能が美術館にはあると思います。

ここで私のいる工房施設「金沢湯涌創作の森」の話をしますと、敷地内にギャラリースぺースがありますが、そこで「パレスチナのハートアートプロジェクト」(2016年7月16日~9月25日)という展覧会を現在開催しています。第二次世界大戦後、イスラエルの建国に伴って故郷を追い出されたパレスチナ人たちが、隣国レバノンの難民キャンプに、ある意味押し込められるようにして60年近くキャンプ生活を送っています。そこに生まれた子どもたちはやはり閉塞された状況にいた。この展覧会は、その子どもたちが描いた絵の展覧会です。いわゆる児童画展ですが、誰が描いたかを知らされずに見ても、普通に面白いし楽しめる作品ばかりです。

しかしその背景を知ると、日本とは全く違った環境で育った子どもたちが描いた絵の意味が変わってきます。どういう厳しい状況なのかというのを少し説明しますと、難民キャンプの子たちは、そのキャンプのなかで生まれています。ですから戦争体験を直接持つ子たちばかりではありません。しかし、例えば一生懸命勉強して大人になっても、80種もの職業に就くことを禁止されています。先生にはなってはいけないとか、歌手にはなってはいけないとか。つまり自由とか未来がないのです。

パレスチナのドキュメンタリー映画も合わせて上映しましたが、それを見た人たちからは自分たちに何かできることがあるのでしょうか、と言われることがありました。たまたま展覧会に訪れた方もいるし、子どもたちの絵を見て楽しんで帰られる方もいます。ただ少し掘り下げてその絵の背景を知ったとき、自分たちに何ができるだろう、と非常に深く悩まれてしまう人もいるのです。

なかにはたびたび空爆の被害を受けているガザ地区に住む、耳の聞こえない聾唖(ろうあ)の学校の子どもの作品もあります。ガザの空爆について話を聞くと、たとえばこの会場くらいの部屋に100人くらい集められて監禁され、そこに向かってミサイルが飛んでくる。気が付いたら真っ暗ななかで大きな音がして、自分の手元に何かあると思ったらおばさんの頭だった……。そんな思いをするような子どもたちがたくさんいるのです。

そうした子たちが描いている絵が、日本の子どもの絵と違うかというと、違うといえば違うし、違わないといえば違わない。お花の絵や動物の絵を楽しそうに描いているのです。「なんだ、こんなに楽しそうに絵を描けるならいいじゃないか」と思われるかもしれませんが、絵を描くことが自分の存在、生きることそのものだと、僕にはそういう表現に見えるのです。厳しい状況にあるなかでの子どもたちの強靭さの証として見えてきます。

そういったことを知ると、知った本人の世界が変わります。直接現地まで行って助けることはできないかもしれない。でも知ったことで自分が変われると思うのです。「知る」「知らせる」ことにはそういうとても大事な役割があると思っています。誰にも知られないところでとても面白いことや良いことが起こって、その人たちの人生がいいように変わっていくのも大事なことですし、むしろそうあってほしいと思います。美術館が「こんなことをやってみました」「どうでしょう」などと示さなくても、社会のあらゆるところでそういう良いことが起こっているなら、それはものすごくいい。ただそうもいかないとき、やはり「知る」ことは非常に大事です。知った人自身が変われるから。そして、美術館はそういう役割をするのだろうと思います。

先ほどのPCに関する批判ですが、社会的一般的に正しいとされることをやっていればそれでアートとして成立するのか、という見方がかつては確かにありました。しかし、味覚のワークショップで行われた立食パーティーのように、それまで施設のなかに起こり得なかったことが実現できたのは、廣瀬さんや後藤さんのアクションによってまさしく一石が投じられたからです。これはもう非難しようがないと思います。

廣瀬さんが「PC」というキーワードを出されたのは、社会性があるからといってそればかりに向かってどうするの、という、別の美学を追い掛けているアートの世界からの批判をさしているのではないでしょうか。

私の専門はどちらかというと美術館教育ですが、美術館は誰のためのものだという議論や観客研究などが盛んだった時期がありました。先ほど美術館は何歳かという話もありましたが、美術館が生まれたばかりはまだまだ未完成で、時間とともに皆で完成させていくもの、といわれるようになってからしばらく経ちます。「皆」というのは、美術館の学芸員や職員だけではなく、アーティストや観客、美術館に来ない地域の人なども含まれています。

美術館に来ない人はどういう人たちだろうと考え始めると、美術館に来る人の方がマイノリティかもしれません。ともあれ、つまらなそうだから行きたくないといった人は除いても、行けない(来られない)人のことは考えていこう、という考え方はすでに以前からありました。目が見えない人に対して視覚芸術はどうアプローチするか。また車いすや施設から出られない人にはどうアプローチするかといった議論です。単に「来てね」ではなく「一緒にできることは何か」を見つけていこう、と。そういうことがいま、ようやく実現してきているのではないでしょうか。「知る」「知らない」ということ、それから「知らせる」ことを合わせてお話しさせていただきました。

今井:ありがとうございます。このセッションはここで終了したいと思います。今回の「表現の森」の企画自体も、美術館に来られない人たちを想像してみるということによって始まっております。そうしたテーマもぜひ次のパネルディスカッションに持ち越したいと思います。

Photo: KIGURE Shinya

 

 


(構成・投稿=佐藤恵美/構成協力=彌田円賀)

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